野良猫珍談

仕事が終わらずに、朝かえってみるとよ。先日の猫が近所の婆に、餌をもらってやがった。しかも、餌を食べながら、撫でられていやがった。ここんとこ姿を見せねぇと思ったらこれかよ。

 

本来、野良猫なんてもんは気高い存在で、餌をやっても見向きもせず、人が食べてもらうのを諦めたところで、ささっと持ち帰って自分の住処で食べるもんだろう。体を撫でられるなんて、汚ねぇ人間になんか決して触らせねぇ。そのプライドの高さに、人は逆に惚れて、野良犬は処分しても、野良猫は処分しねぇっていう掟ができたんじゃねぇかよ。

それを、この野良猫は何だと思っていやがる。

 

人の家の前に居座って餌をねだり、どこの婆ともわからねぇやつに餌付けされて体を撫でられて喜んでやがる。野良猫の魂を売りやがって、飼い猫でもねぇ、野良猫でもねぇ、てめぇは何になるつもりだ。

 

なに?婆に嫉妬だ?。んなわきゃねぇだろ。そんなプライドのねぇ猫なんて、なついたところで、面白みもなんもねぇ。プライドの低いもの同士、仲良くやってりゃいいんだよ。

 

そういや、先日買ったスルメのことをすっかり忘れちまっていて鞄がスルメ臭くなっちまった。別に、「次に会った時のために」と、取っといたわけじゃねぇぞ。

煎茶

市販されているペットボトルのお茶が飲めない。

「お茶の味がする飲み物」という認識しかない。お茶の、お茶らしい甘みも渋さもく、口に広がるのは妙な味。その点をお茶の国の出身者に聞くと、こんな答えが帰ってきた。
「酸化防止剤のためにビタミンCを入れているからデスヨ。だから少しスッパイんデスヨ~。」
あの妙な味は酸っぱさだったのかと、納得。でも、それだけ知っているのに、なぜあなたはペットボトルのお茶をガブガブ飲むのだろう?少し水で薄めてまで。

夜中の3時に、そんな話をしたのを思い出し、どうしても熱いお茶が飲みたくなって、数ヶ月ぶりに急須と湯のみを引っ張り出してきて洗い始めた。

洗い終えると、まず、急須と湯のみをお湯で温め、一度お湯を捨てたあと急須に茶葉を入れる。そこに、お湯を少しだけ入れて30秒ほど軽く蒸す。蒸した後にお湯を入れて2分ほど待つ。お茶の葉が開いた頃合で、湯のみに最後の一滴まで注ぐ。
さすがに、「お湯の温度は70度で」とまではいかないけれど。
ついでに、軽く蒸すのは何かで読んだ気になっていたが、どうも自己流らしい。

湯飲みに下唇をつけて、緑茶の香りを吸い込んだ後、上唇で柔和な陶器の感触を味わったら湯飲みを傾ける。
市販されているお茶でも、粉末で作るお茶でもないこの味。これを飲むと、確かに「酸っぱさ」という存在を排除し、甘みと渋みが舌の平を転がって喉へ向かっていく。

もちろん、湯のみも一連の流れの一つで、感じの良い湯のみやグラスがあると、思わず口付けしてしまいそうになる。唇が陶器に触れた時の感触や両唇で挟んだ時の厚みを確かめたくなる衝動にかられるからだ。着る物は試着をするのに、なぜ湯のみやグラスは試飲をできないのだろう。唇という無防備な場所に触れさせるほど、心を開く必要があるものに対して。

満たしていったお茶が、羊水のように自分を包みこむようだ。
今日はぐっすり眠れるだろう。

とりあえず、日本茶アドバイザーにでもなろうかと考えてしまった。

このメールを削除しますか?

「メールを削除しました。」

偶然見えた隣の人の携帯のディスプレイに表示されたメッセージを目にして、自分の心が削除されたように痛んだ。

 

もちろん、それがどんなメールで、どういう経緯で削除されたのかを知る由もない。単なる出会い系のメールだったのかもしれないし、以前の恋人がくれた最後のメールを、思いを断ち切るために削除したのかもしれない。片思いの相手へ出せなかったメールを自分の切なさと一緒に削除したとも考えられる。

 

向かいの窓に映る彼女の表情からは、何もうかがえない。

心が痛んだ理由は、二つある。一つは、削除されたメールの送信者を想った。もう一つは、きっと、かつて誰かに削除されたであろう自分のメールを想った。何の抵抗もできず必死のアピールも空しく容赦なく削除されてしまったメール。きっと、あのメールのたどった運命はそうに違いないと、過去を回想する。

 

手紙ならば、千切られ、焼かれ灰になっても、形は残る。

 

だが、一度も形にならなかったメールは、それすら許されない。削除される間際、託された思いを、今度は誰に託すのだろう。もしかすると、配達者を失った気持ちは、憑依先を失って行く当てもなく漂っているのではないだろうか。雨の夜が、こんなにも切なくなるのは、漂っていた切ない気持ちが雨と一緒に降り注ぐからかもしれない。

 

明日はスパムメールも生かしておこう。とりあえず、雨が止むまでは。

ランチどこにする?

うちの会社のお局様は、一度睨んだ相手への攻撃が容赦がない。そののすさまじさから、六条の御息所と呼ばれているのは、公然の秘密となっている。もちろんこれは、源氏物語の葵の上を生霊で殺す「六条の御息所」からきているのは、言うまでもない。
とは言ってみたものの、あくまで話の都合上で、無学な自分は女性の悪役で思い浮かぶのが彼女以外にいなかっただけなのだが。

さて、その六条と先日ランチを食べに行った時のこと。
「何を食べに行きますか?」
と聞くと案の定、いつもと同じ答えが返ってくる。
「決めていいよ。」
「そう面倒くさいことばかり人に押し付けないで、年上なんだから、たまには決めやがれ。」
とは言わない。
たまたまエレベーターに乗り合わせてた一つ下の階の男性3人組みに付いていくことを提案したら、あっさり了承された。

失礼ながら、彼らの外見から行く場所が、ある程度想像がつく。牛丼かラーメン。良くて定食屋。期待だけは禁物と言い聞かせて尾行を開始した。

彼らの後ろ約5メートの距離を守りつつ後を追う。道玄坂を下り、途中彼らが行くに違いないと予想していた松屋、ラーメン屋を脇目も振らず通り越す。渋谷駅前の交差点を渡り、高架下を通って明治通りを原宿方面に。

ランチのために、これほど遠くまで歩いた記憶はない我々は、
「どちらに行く予定ですか?」
と、何度彼らを立ち止まらせて聞きたかったことか。その衝動に耐え切れなくなる直前に、彼らが着いたところは意外にもオシャレなビュッフェ形式のレストランだった。

その時の達成感といったら、とめどないものがあった。
ランチのために、これほどまでの神経と体力をつかったなんて!

先に席に着いた彼らの横を通り、席に案内される。このドキドキ感もたまらない。

ただし、料理を目の前にした時点で、いい食事にありつけたことに満足しきってしまった。
もう、彼らを付けていたことも、45分間という申告も忘れてしまい1時間を超えて居座った。もちろん、尾行していた彼らはもういない。

1時間分の料金を払わされるのかと思ったら、あっさり45分間分で済んでしまった。
「彼らを尾行してたんです。だから最初の15分間は食べる時間がなくて。」
などと、六条が言い出す必要がなくてよかった。

昼休みに、一つ下の階の人間を尾行している人間は、
渋谷広しと言えども、我々だけだろう。
そんな優越感に浸った午後。

そうそう、全てに満足しきった自分は、持っていった書類すらもレストランに忘れてきてしまっていた。

もう、そんなことすらどうでもいい気分。

嫌われ者の遠吠え


最近、駅で電車を待っていて気付いたことがある。

自分の後ろに並ぶ人数が、他の列に比べて明らかに少ない。一番前に並んだ時などは、他の列の半分すらいない時がある。

単なる思い過ごしならばいいのだが、加齢臭でも漂っているのかと、不安になってしまう。匂いでないとするのなら、殺気で人を寄せ付けないのだろうか。

確かに、外見の悪さなら、あまり弁解の余地はない。コンタクトの入っていない朝は、目つきが相当悪いらしく友人にも
「怖い。」
と散々言われるし、
「これまで何人殺してきた?」
とまで揶揄される。
もちろん、直接的には、まだ一人も殺していない。

ただ、後ろに並ぶ人数が少ないのはコンタクトを付けてない朝だけではないし、一番前に立っていたら、目つきの良さ悪さは関係あるまい。後ろに目が付いているわけでもあるまいし。

ならば、本当に殺気だったオーラでも出しているのだろうか。
そういえば、大学にいたころにも、「さっき、掲示板の前にいたのを見つけて、声をかけようかと思ったけれど、
オーラがでてて近寄りがたかった。」
と言われたことがある。
だがそれは、単位取得のことで切迫していた時だからだと思うのだが。

確かに、人を寄せ付けようとは思わないけれど、赤の他人に避けられ、しかも、おそらく無意識のうちに敬遠されると、人そのものから疎外されている心持になってしまう。強がりで、孤独を愛する自分は、それを悪いとは思わないけれど、少しだけ本音を言えば、寂しさも感じる。だって、哀愁漂う秋だし。実は寂しがりやだし。

だからといって、
「俺の後ろにも並べよ!」
と憤慨するわけにもいかず、悶々とする日々が続いている。

「こんなに温厚な人に対して、なんだよってたかって、このやろぉ!」
月に向かって吠えてみようかと考え、窓の外を眺めたが月など出ていない。

月さえも人を馬鹿にする。

1500円以上で送料無料!

の掛け声に引きづられて、1200円の電化製品を買ったついでに、先日とうとうアマゾンで本を注文してしまった。

 

翌日には小包がアマゾンから届いていて、ビリビリ開けてみると、当たり前のように、本が二冊ダンボールに入っていた。

その悲惨な光景に頭がくらっとした。本を二冊頼んだのだから、当然の光景かもしれない。だが、街の本屋ではしてくれるであろう紙のカバーはなく、手に取った本の肌触りは悪い。本の「嫁入り」と考えるなら、こっちが悲しくなるくらい可哀想な状態。

 

 
後日、電化製品も届く。本のが送られてきたときよりも、落胆はしなかったが、ただ、送りつけるためだけに入っている状態は変わらない。あれは何なのだろう。包みを開けるドキドキ感が全て打ち消されてしまう。もう、アマゾンでは本を買えない。

 

さてさて、アマゾンから届いた本、アフリカを舞台にしているのだが、中国で読むことになる。

列車で隣に座ったちょっと不思議で、でも親切な初老のおじいさんがそれを見て、「おまえ、日本人か~。」と英語で話しかけてきた。散々中国語で話しかけたのを少し謝って、お互い流暢とは言えない英語で会話。夜で外の景色もない車内に少し退屈し始めていたので楽しめた。アマゾンからのちょっとした侘びなのかもしれない。

 

ただし、電化製品と本を合わせて1500円以上にしても、送料無料にはならないことは後から知る。

 

社長秘書接待

「おなかへったー。モツ鍋食べに行こう。」
社長秘書からの、久しぶりの食事のお誘いに柄にもなくドキドキしてしまった。

 

モツ鍋のはずが、社長秘書の気まぐれで鉄板焼きになってしまったが、モツ鍋が食べたいと騒いでいたことは、知らなかったことにする。さらに付け加えれば、頼んだベーコンエッグとスクランブルエッグを間違えていたのも知らなかったことにする。

 

久しぶりではあるのだが実のところ、社長秘書が食事するたびに言う「なんか面白い話して。」攻撃に怯えて、こちから逃げていた節がないわけではない。

 

誘われた時から、先手先手でいこうと、まず「面白い話をして。」攻撃の予防線として会社の話になると愚痴しか言えなくなるから、出来るだけ会社の話題を避けていた。だが、いつの間にか仕事の話に戻ってきてしまって愚痴りそうになるのを
あわてて飲み込んでむせてみたり、質問攻めにしてみたり。

 

ただ、やはり口下手な自分に何度も「面白い話をして。」と悪びれる様子もなく言える社長秘書に、人としての器の大きさを感じる。ん、器の大きさ?

 

とにかく、面白い話は苦手なので、社長秘書の食べカスすら褒める勢いで、褒めちぎってみた。
それを要約すると次のようになる。
「なんで神は、あなたを誕生させたのだろう。世の中の男があんなたに毒されて、不幸になるというのに。そんなあなたと食事をしている私は幸福のあまり心臓がとってしまいそうだ。きっと、世界中の男に分けても有り余るくらいの幸せだ。」と。
たぶん…。

 

さてさて、社長秘書の手帳には今日の食事は何点と記されたのだろう?ここだけの話、社長秘書の「面白い話をして。」攻撃に対抗するために落語を研究し始めたのは、まだ誰にも言ってない。

 

野良猫教育

最近よぉ、家に門番がいてめんどくせぇったらありゃしねぇ。門番ていってもよ。一匹の野良猫が勝手に門番やってらぁ。

 

昨日も門の前に、あの野良猫がどっかり寝そべっていやがって、しかたがねぇから、さっきコンビにで買ったばっかの栗入り大福を開けてよ、中の栗を取り出して、野良猫に向かって投げたわけさ。でもよ。その野良猫、体を重そうに持ち上げて、鼻でくんくんと、二度ほど栗の匂いを嗅いだはいいが、口をつけやしねぇ。こっちは、栗入り大福の栗がなくなって、ただの大福になっちまったっていうのに、どうしやがる。

 

んなことを猫に言ったが、聞く耳もっちゃいねぇ。馬の耳に念仏と言ったもんだが、こりゃ、猫の耳にも念仏だな。ついでに、猫に小判じゃねぇ、猫に栗だな。しかも、門の前にまたどっかり寝そべって、どきそうにもねぇ。いい性格してるよなぁと思いつつ、横をすり抜けて門をくぐろうとしたら、入れさせねぇと言わんばかりに、「みゃぁ」と鳴きやがる。

 

なんで、どこの猫とも分からない野良猫に自分の家に入らせてもらえねんだと、こっちが泣きたくなっちまう。しょうがねぇ。キャットフードでも買おうと、もう一度コンビにまで戻ったがいいがよ、生まれてこのかたキャットフードなんて買ったこたぁねぇ。何を買ったらいいんだかわからねぇもんだから、ツマミ用のスルメを買って家に戻ったわけさ。戻ったつうか、もう一度帰ったつうかさ。

 

スルメを買って戻るまでの間に、もうあの野良猫はどっか行っちまったんじゃねぇかって心配になったりしてよ。いや、そのへんの野良猫だ心配なんかしねぇ。せっかく買っちまったもんが、無駄にならねぇかって思っただけさ。まぁ、ビールのツマミにするからいいんだけよ。

 

そんなことを思ったりして、戻ってみると、結局のところまだ居るわけよ。無愛想に首だけ動かしてこっち見上げてて何様だお前は。俺はよ、無愛想な野良猫に餌をやるほど人の出来た輩ではねぇけどよ、せっかく買ったスルメだし、何より家に入りたくてよ、スルメをチョイっと野良猫の顔のそばに投げてみたら栗の時と同じようにクンクンと二度ほど匂いを嗅いで、ちょっと考えた後、今度はムシャムシャ食べやがったじゃねぇか。

 

匂いを嗅いだ後の間。にくいねぇ。くわねんじゃねぇかと思わせやがる、あの間。間を大切にって、てめぇは落語家かっつうの。

 

でもよ、スルメが噛み切れねぇのか、ムシャムシャ手を、いや、猫に手なんてねぇか。前足を使いながら小さなスルメを噛み続けてる姿が面白くてよ。もう一本やったら、同じように匂いをかいで、器用に前足を使いながら旨そうにくいやがる。
それを見ていた俺は、ちょっとにやけちまったじゃねぇか。

 

そろそろ、いいだろうと思って、門をくぐろうとしたら、すぐ隣で「にゃー」と鳴いて、まだスルメを催促しやがる。
「てめぇは何様だ」と言ったら、このやろう、偉そうに前足を立てて座って
「門番様にゃー」
なんて、ぬかしたような態度しやがった。

 

いい加減に、俺も頭にきて説教の一つや二つしてやろうかと思ったが、真夜中に野良猫に説教してたら、近所の目がどうしても気になるじゃねぇかよ。しょうがねぇ。もう一本スルメを投げてみたわけさ。したら、さも当たり前のように食べやがる。いい加減にしろと思って、食べてる野良猫の横をすりぬけて門をくぐったわけさ。

 

後ろで「にゃー」って鳴いたが、俺の耳には届かなかった。

 

で、今日もスルメを買って家に帰ったんだけどよ。先の野良猫はいやしねぇ。いや、別にスルメは野良猫のために買ったわけじゃねぇぞ。久しぶりに、仕事後のビールを買って、そのツマミってわけだ。

 

でもよ。あの野良猫、食い物をもらってんだから、翌日は魚でもくわえて挨拶に来るぐらい可愛げがあってもよくねぇか。
「教育が、教育が」と言ったもんだが、最近の野良猫も出来てねぇなぁ。今度きやがったら、一から教育してやらぁ。覚えてろ。

知恵の輪

飛行機に乗るたびに、思うことがある。

 

「飛行機が落ちた時、何をしていなかったことに悔やむだろう。」

 

好きな人への告白だったり、愛する人への懺悔だったり。毎回、自分にとっての悔やむべきことはこんなところで、悔やむ程度が知れている。もう少し何か、高尚な思考ができないものかと、飛行機の加速を感じながら自分に呆れてしまう。

 

今回の旅で考えるべきことが3つあった。

将来像の生成
仕事との向き合い方
旅たつ直前に来たメール

 

幸い、中国という土地が、中国語の全く分からない自分を他人の干渉から全く遠ざけてくれたおかげで、この3つと向き合う時間はそこらじゅうに存在した。心を奪われ尽くした拙政園で池や草木を見ている時間や、同里へ向かうバスの中。蘇州の駅前の広場で上海行きの列車を3時間以上も待っている時もそうだったし、ホテルについてからもそうだった。

 

ただ、知恵の輪のように、この3つが複雑に絡み合ってしまってどうも解けようがない。

 

絡まっている要素は、全て恐れと自信のなさ。あれだけ虚勢をはって生きているつもりでも、いざ、自分と真摯に向き合ってみると、その脆さに苦笑してしまう。旅で感じたこと、受け止めたこと、考えたことを纏めていたスケッチブックさえも、途中で考えることだけ消えてしまっていた。しかも、そのことに気付くのは帰国してから。

 

ただ、いま穿ってみると、どれも答えが出ている気がしてしまう。答えを直視できないだけで。知恵の輪が解けたときに訪れる爽快感。そして共に訪れる終局の寂寥感に怯えてしまっている。度胸のなさに、つくづく嫌になる。

 

かといって、先に進めないのも苦しいだけだ。

 

とりあえず、メールを返そうか。かつて愛した人へ。

宴のあと

歓楽の代償なのか、
快楽を貪った後の孤独感が絶えがたい。

体の中心に、蟻地獄ができて肉体も精神もその一箇所へ飲み込まれていくようで、心底、生きたくないとさえ思う。

この心を絞り取られるような感覚が怖くて
感情を表に出さず、楽しむことに、無意識のうちにブレーキをかけてるのかもしれない。

自分を瓦解させて、この苦痛から逃れたい。
そう思えるほど楽しかった時間を過ごしていたけれど、
同時に、自分がますます嫌いになっていった。

心が焼けるように痛い。
こんな時だけは、いつもは隠れている感情が発露して体中が泣いてしまう。