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ポンパレでL版写真100枚プリントが送料込みで180円で売っていたので、180円ならと購入してやってみた。
Mac用のツールがなく、5~6枚ですら一度にアップロードするとエラーになってしまうので、4枚ずつ25回に分けてアップロードするはめになり、もう使おうとは思わなかったけれど。
ついでに文句を言うと、送られてくるメール便の問い合わせしても、ずっと集荷先の福岡で止まっていていつになったら東京へ向かうのかと思っていたら、今日届いた。昨晩も福岡にあったのに。なんか意味のない問い合わせシステム…。
安いし、写真もほぼ修正していないものをそのまま印刷したので、あまり期待はしていなかったけれど、送料込みで180円にしたら充分すぎた。
モニターで見るのと、実際に印刷された写真を前にするのはやはり違う。南米に行ったときの写真を主に印刷したのだが、ちゃんと被写体に目を向けられていなかったんだというのをすごく感じて、ショックを受けた。確かに、観光に行ったのだけれど、本当に観光写真でしかない。「お前は何が撮りたかったのか?」と問いたくなる。
別に、カメラマンになるつも写真を使って飯を食べていこうという気もないけれど、新しいカメラをわざわざ買って、重たい思いをしながら歩き回ったことを考えると、情けないし悔しい。誰でも撮れる写真ばかりを撮って何が楽しかったんだろう。本人が見ていても、一つの旅というものが全く伝わってこないことに驚いた。
関係ないけれど、ポンパレから500円割引券の有効期限があと10時間というメールが来ていることに気づいて、特に買いたい物がないためプリンタのインクを買った。が、amazonで割引券を使ってもなお安く売っていた。まぁこんなもんだ。グルーポン系のサービスって個人情報提供サービスという感じ。
<南のはてで出会った背中>
世の中全体がのんびり気分。電車もゆっくり走って、ドアが開くのも一テンポ遅い。自動改札すら、かったるそうにパタンと進路を開く。人数も少ないしお盆が近いからなのかな。そう、お盆前だというのに不快指数は梅雨並。湿ったシャツに擦れる焼けた肌が痛い。
昨日は、60歳くらいの人たちを中心にやっているヨットの集まりに誘われて、葉山まで。想像していたものよりヨットだった。エンジンはもちろんなく動力は風の力と人力だけ。ロープ(といっても、本当の名前があるんだけど)を3cm緩めてとか指示されても、何が違うのかよく分からない。今日は残念ながら風がないね、といわれても風は心地いいくらい吹いている。夏のこの時期に雲間から富士山が見えるなんておかしいと言われても、ただキレイだなと思うだけ。
曇りの天気予報だったし、そんなに日焼けしないかと思って出かけたら、葉山は晴れ。先々週の奄美より先週の福岡より焼けた。毎週黒くなってる感じ。
ヨットは、正直向いているのかどうなのかよく分からない。ただ、アンカーを下ろして、みんな泳ぎに行ってた頃にヨットに残って波にゆられて寝ているのは気持ちよかった。だって、水着忘れたし。
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いつものソフトで作ろうかと思ったけれど、めんどっちくなって、敬遠していたFlickrが、iPhotoとの相性がよかったのでFlickr使ってみた。
でも、アルバム3つ以上は有料なのね…。
旅立つ前日に始まった写真教室での宿題のテーマが「好きなもの」を3枚。いきなり難しいテーマです。でも、旅行があったため、テーマについて考えるより、テーマを逆に当てはめてしまいました。
つまり、旅行の何が好きなのか。そして、その好きなものをどう写真で表現したらいいのかということです。
それまでテーマを持って写真を撮ったことなどなかったので、改めて意識して写真を撮るということはどういうことなのかということを考えさせられました。
好きという感覚を形にしなければならないほど、くたびれる作業があるのでしょうか。好きという感覚は能動的なようでいて、とても受動的な要素を持っていると思います。
ある状況、環境に自分を陥らせてしまえば、勝手にその感情が溢れるのですから。雨が降ったら、川の水が増えるというのと同じようなものです。川は動けませんが、人は雨が降る場所に行けばいいわけです。
ところが、なぜ好きなのかを考え出すと、なぜ雨の降る場所へ行きたいのか、なぜ水かさを増やしたいのか…と、堂々巡りです。そのうち、なぜ雨が降るのかといった疑問にすらなってしまいます。
結局、いまいちその答えは出ませんでした。てへっ。
確かに人との出会いも楽しみです。異文化や異なる環境に触れるのも面白いです。でも、飛行機のチケットを取る時に、お金の代わりに受け取れるだろうと期待するものは、そういったものでもない気がします。
旅行を計画する際、一つだけ確かなのは出来るだけ地方に行こうとする意志が働くことです。今回であれば、パークベンという船旅の中継地点でしょうか。ここに行くためだけに、飛行機を3回も乗り継いだわけですから。
そう考えると、都心から逃れたい、田舎を感じたいという意志が働く気がします。わたしには、実質の故郷がありません。ずっと同じ場所に住んでいるにもかかわらず。色々な変遷をたどったため、地元に知り合いがほとんどいません。それが、郷里と呼ばれる場所への憧憬を生み、少し変わった形で、旅行が(特に何もない場所へ行くことが)好きなのかもしれません。
そのパークベンですが、本当に良い場所でした。船旅用の宿ばかりで何もありません。電気は18時~22時までしか使えず、ロウソクが置いてあるようなところです。もう、それだけで何かが起きそうな気がしてしまいます。
着いたときには、日が暮れかかっていて、街灯もなく船が着いた場所がどこだか分からなくて困りましたが
メコン川の奥の気高い山の峯が闇に飲み込まれていく様は、見ていて飽きることがありませんでした。この景色を見に来たんだと思い込ませてくれるような光景でした。
話がだいぶそれてしまいましたが、あとは、ほんの少しだけ自分を追い詰めたかったり、帰る場所を確認しに行くためなのかなと思います。魚の回遊みたいですね。