「そういえば、彼女、土曜日にロンドンに嫁ぐの知ってる?」
という友人のメールに、ロンドンに留学するの?と、とんちんかんな返信をしてしまった。失礼ながら、彼女が結婚するなどということが現実として起こりえると思っていなかったからだった。彼女は、結婚という社会的なリアリティを一番持ち合わせていない人の一人なはずだった。
だいぶ連絡をしていなかったので少し迷ったが、彼女にとって大切であろう本を何冊か借りていたので、メールをしてみた。
結婚おめでとう。本を何冊か借りてるので、日本に来ることがあれば、その時に返します
既に日付は変わって土曜になっていた。携帯が解約されていてもおかしくなかったが、無事に届いたようで朝になって返信が来た。
連絡しようか考えていたんだ
本は、こちらに住まないし、読み終わっていればお任せするよ
結婚、そして海外へ行く彼女の覚悟と、それを読み取ろうともせず薄っぺらな言葉を送った自分自身への羞恥といったら。言い訳をするならば、少しは言葉を選んだつもりだった。ロンドンに居をおく彼女からしたら、「帰る」ではなく「来る」だろう。自分にしてみたら、結婚とはその程度の覚悟だった。そのうち里帰りすることもあるだろうと。けれど、ロンドンに嫁ぐ以上日、たとえ大切な本であろうと日本に置いていくものに未練を残せない。それが彼女のリアリティなのだ。
彼女は続ける。
あなたの人生をすこしし見せてくれてありがとう
人としての覚悟、言葉に込めた覚悟、その有無でここまでの差がでてしまうとは。一つ一つの意識の違い。それが、最初に彼女の結婚を全く想像できなかった理由だろう。
大切な人の門出に、ありきたりな言葉しかかけられない人生の薄さに乾杯。