覚悟

「そういえば、彼女、土曜日にロンドンに嫁ぐの知ってる?」

 

という友人のメールに、ロンドンに留学するの?と、とんちんかんな返信をしてしまった。失礼ながら、彼女が結婚するなどということが現実として起こりえると思っていなかったからだった。彼女は、結婚という社会的なリアリティを一番持ち合わせていない人の一人なはずだった。

 

だいぶ連絡をしていなかったので少し迷ったが、彼女にとって大切であろう本を何冊か借りていたので、メールをしてみた。

 

 結婚おめでとう。本を何冊か借りてるので、日本に来ることがあれば、その時に返します

既に日付は変わって土曜になっていた。携帯が解約されていてもおかしくなかったが、無事に届いたようで朝になって返信が来た。

 

 連絡しようか考えていたんだ
 本は、こちらに住まないし、読み終わっていればお任せするよ

 

結婚、そして海外へ行く彼女の覚悟と、それを読み取ろうともせず薄っぺらな言葉を送った自分自身への羞恥といったら。言い訳をするならば、少しは言葉を選んだつもりだった。ロンドンに居をおく彼女からしたら、「帰る」ではなく「来る」だろう。自分にしてみたら、結婚とはその程度の覚悟だった。そのうち里帰りすることもあるだろうと。けれど、ロンドンに嫁ぐ以上日、たとえ大切な本であろうと日本に置いていくものに未練を残せない。それが彼女のリアリティなのだ。

 

彼女は続ける。

 

 あなたの人生をすこしし見せてくれてありがとう

 

人としての覚悟、言葉に込めた覚悟、その有無でここまでの差がでてしまうとは。一つ一つの意識の違い。それが、最初に彼女の結婚を全く想像できなかった理由だろう。

 

大切な人の門出に、ありきたりな言葉しかかけられない人生の薄さに乾杯。

結婚指輪

吸い込まれるように、婚約指輪が彼女の薬指に収まった。
手をひらひらと返す彼女の指下でダイヤモンドの散りばめられた指輪は、そこにいるのを喜ぶようにキラキラと周囲に細かい光を舞い散らせる。

けれど、見とれたのは指輪の輝きではなく、指輪をケースからそっと出し指輪をはめるまでの一連の行為とその行為を紡ぎだす彼女の指だった。

親指と人差し指の先で清らかに指輪が運ばれ、薄っすらとマニュキュアの塗られた爪をすり抜け、節と節の間が長く白い指に滑り込む。そのしぐさを見ている側も、指輪と皮膚のすれる音を聞き、節を通過する際のわずかな抵抗を確かに感じた。結婚指輪という、見慣れない物を目の前にして、自分まで高ぶったのかもしれない。

結婚指輪について、また結婚相手についていくつかの質問をすると、彼女は一つ一つの質問対して、丁寧にエピソードを添えて若干照れながらも答える。彼女と婚約者との二人だけに許される暗号めいた行為を聞きながらも、不思議と疎外感や惚気に呆れるといったことはなかった。

指輪をする一連のしぐさは、間もなく迎える結婚への過程とその後の生活が彼女にとってどれだけ愛しむべきものかを表現するには十分すぎるものだった。それを見てしまった以上、もう彼女の世界の中に足を踏み入れてしまったのだろう。主役の彼女を盛り上げるつたない脇役として。
 
指輪の持つ幸せの価値は、決して特筆すべきものではなく万人が持てるようなものだろう。結婚そのものに憧憬を持つほどのものではないと感じていた。けれど、脇役になり彼女の物語に触れることで、彼女が今もっている幸せの重さの一片を感じることで、幸せを掴む方法を教えられたような気がした。一塊の大きな幸せではないかもしれない、けれど、恋人との何気ない会話、恋人と創りだす空間に、小さな幸せを少しずつ集めれば増幅されこれほど幸せになれるのだと。

そんな抱えきれないほどの幸せを指輪に押し込めて、押し込められなかった分は指輪をいじりながら表情に滲み出す彼女に少し嫉妬し、幸せを手に入れられられそうにない自分に焦りを少し覚える。

それにしても、今まで何度も目にする機会があったはずなのに、これほど華奢で綺麗な指をしていたことになぜ気付かなかったのだろう。元々美しかったものではなく、指輪をするために美しくなったのではないかという疑念すら湧いてくる。

指輪は、一人の女から花嫁へ変えるための道具であり規定するものである。ある種、貞操帯のようにそれまでの世間から乖離する意識付けのための物なのかもしれない。指輪をする度に、単純な幸福の願いを込めるだけでなく、様々な意志を込めることによって、花嫁として妻としての役割と自身の溝を無意識に埋めていくのではないだろうか。

学生から社会人になった時の急激な大人の女性への変化に驚いたのがついこの間だった気がする。不器用そうなくせに、役割をこなすために自分を成長させ自然と振舞う技術を、幸せを呼びこむ技術をどこで身に付けたのだろう。

今後も彼女は、妻という役割、やがて母という役割を無難にこなしていくのだろう。その度に少しずつ大人の顔になりながら。小さな幸せをめいいっぱい抱えながら。

春の光

春に向かっているからなのか、暖かくなり始めて急激に自分を取り巻く運命のつぼみも弾けだした気がする。
それが、彼女のいうような予兆、村上春樹の「ねじまき鳥クルニコル」で言えば、「主人公の飼っている猫がいなくなる。」と同じきっかけがあって、(彼女に言わせれば、予兆の日は、気象庁が桜の開花日の予想を修正した3月15日らしい。)動き出したものなのか、あくまでも自然な流れに添ったものなのか、いまいち僕には分からないけれど、確かに突拍子もない彼女の言葉を信じてしまいそうになるほど、今までと違う道が目の前に急激に現れだしたことに気づく。そして、明らかに関連性のないことが、さも当然のように連なって起きていることも何かの歯車が動き出していることをありありと感じさせる。もう一度彼女の言葉を借りれば「それに伴って起きることが、大きいことなのか、小さいことなのかはわからないけれど。」
僕は、時計の短針を一周させて、朝の10時から夜の10時にさせたつもりだけなのに、窓の外には街灯が灯り、人も空の色も観賞用のポプラも、夜用に姿を変えてしまって、スイッチを入れたはずの僕が戸惑ってしまっている。慌てて、時計の短針をもう一周させてみたけれど、もう手遅れだった。けれど、夜の10時を生活していこうと割り切った感情にもいまいちなれないが、しかたなく、残像だけの朝10時にサヨナラを言い始める。

何度もしてきたことなのに「サヨナラ」は難しい。
サヨナラを言うためだけに焦ったり、言えなくて歪曲した形で表現してしまったり。サヨナラを言ったとしても、ぶっきらぼうな言い方をしてしまって傷つけたり、思っていることを伝えきれなかったり。大切だと思う人にほど、大切な伝え方が出来ない自分がもどかしい。
「予想してた?」
「全然、泣きそう。」といいながら、少し遠くをみつめる彼女に
「泣いていいよ、一緒に泣くから。」
とは言えずに、逆にサヨナラの仕方を教わってしまう。
明日を呼ぶために、スイッチを押したのに、明日が来なければいいと思っている。だから下手なんだ。サヨナラが。

夢の記憶

昔の彼女を偶然見つけた僕は、声をかけていいのか、そのまま立ち去るべきなのか分からず途方にくれてしまった。場所は、よく買い物に付き合った”martinique”というショップだった。日曜日の昼過ぎで、店内にはお客さんが多かったけれど、みんなとても穏やかで、陽光が優しく店内を照らして優雅な時間が流れているように思えた。彼女もその中の一人で、やっぱり穏やかに服を手にとって選んでいた。

途方にくれながらも、少し大きな声を出せば聞こえるところにいる彼女をずっと目で追っていると、彼女が僕に気付いて、近寄ってきた。
「久しぶり。」
と、はにかんだ笑顔で彼女が言うまでのわずかな時間が途方もなく長い時間に感じられ、その間に僕はもう泣き出してしまっていたらしい。
「なに泣いているの?」
子供をあやすように言う彼女に、
「わからないけど…。」
それこそ子供のようにしか答えられずに涙がぼろぼろとこぼれてしまっていた。

そこで、夢からさめた。
不思議な夢だった。とても鮮明だけれど、分からないことだらけの夢だったし、泣いていたはずなのに、ひどく心が落ち着いていて少しも寂しい気分ではなかった。かといって、嬉しさで泣いていたわけでもない。彼女が僕を見つけた瞬間から、もう自分をどう表現していいか分からず、混乱して咄嗟にした行動が泣くという行為だったというのが、冷静な見方なのかもしれない。

こんな話をしてしまったから、誰も信じないかもしれないけれど、未練という心のしこりは全くなくて、ただ、今の彼女が幸せになっていればいいと願っている。もちろん、長年付き合っていたから人として好きだし、家族と同じくらい感謝している。でもそう思えるのは、未練という感情を昇華させてしまっているからなのだろう。

結局、やっぱり流した涙がなんとも理解しがたかったので、きっと、彼女が幸せそうで、ほっとしたから流した涙なのかなと思ってみる。彼女は、いま幸せなんだ。そう思い込むのが僕も一番幸せだから。

一ヶ月ほど前の夢の記憶。