うさぎドロップ

久しぶりに面白いと思ったノイタミナ枠のアニメ。りんのように利発で可愛い娘なら子供欲しい。結婚はいいけれど…。でも、自分より出来た子供だったら、どっちが親でどっちが子か分からないな。りんの声優は9歳の子役だと知って驚いた。演技が上手すぎる。あと、あまり見ているわけではないけれど、ノイタミナ枠のアニメのオープニングはセンスがあって一つの映像作品を見ているよう。これを作っている人達にもう少し光が当たればいいのに。

 

実写化もされ、見に行ったわけではないけれど、評価は散々らしい。ターゲットが原作やアニメのファンだったら、香里奈が演じている役がワーキングマザーから女優に変更している時点で気持ちが引けてしまうのだろう。2時間ほどでストーリーをまとめなければならないとは言え、なぜ妙な変更を施してしまうのだろう。そんなことをするくらいなら、原作の要素だけ取り入れて、別のストーリーに仕立てた方が、原作のファンもそうでない人達もよっぽど楽しめる気がするのに。

 

 

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

エンドロールをみながら、作品を思い返すより10年の年月が過ぎたことをしみじみと感じてしまった。ハリーポッターの最初の作品はアメリカでみた気がする。見た場所や内容は覚えていないけれど、ほとんど何も理解できず、見終わって落胆よりもむしろすがすがしい気分だったのを覚えている。

 

魔法とか未来の道具って使い出すとつじつま合わせが難しい。魔法を強調するために日常の些細なことに魔法を使いながら、物語を面白くするために肝心なところで魔法を使わない。使わせないために余計な決まり事を作って、物語がどこか硬直化してしまう。自分が持っていない感覚の世界を想像するのは難しいし、逆に持っている感覚がない世界を想像するのもそう。

 

個人的な話になってしまうけれど、絶対音感の話になるときなんて正にそう。持っていても普段の生活で何の役にも立たないし、何の意識もせず生活している。けれど、例えば調弦をするときにチューナーがないとできない感覚がわからない。わからないから想像が出来ない。夢のような魔法を使えても想像力にそに限界を左右されていると思うと少し悲しくなる。

 

でも、ハリーポッターがなかなか好きになれなかった理由は、登場人物が多すぎるからのような気がする。しかも外国人の名前なんて。どの名前がハリーの見方かすらもよくわからなくなってくる。5人以上の名前を覚えられない自分には、ドラえもんくらいが丁度良いみたいだ。

 

そんなことを思いながら、とにかく10年という時間が過ぎた。

 

 

キリン 生茶 ザ・スパークリング

 

飲む前は、カナダドライから出ているGreen Tea Ginger Aleのようなものかと思った。北米(カナダだけ?)で発売されていて、美味しいという噂だけを聞いていた代物。興味がでてジンジャーエールに緑茶を混ぜて作ってみたものの、あまり美味しいとは言えない物ができてしまった。

 

そんな数年前の苦い思い出を蘇らせた生茶の炭酸だけれども、それを上回る後味の悪さだった。新手のテロかと思わせるくらいに。なぜゆずを加え、しかも甘みまで足してしまったのだろうか、単にお茶と炭酸水ではまずかったのだろうか、と色々考えてしまった。ただ、時間がたって炭酸が抜けたあとは、ゆず風味のお茶になっていて悪くはなかった。味に慣れただけかもしれないけれど…。それ単に柚子茶になったからか。

 

 

 

春の雪ー豊饒の海・第一巻

 

第一巻である春の雪が終盤に差し掛かったころ、次巻を求めて本屋に行った。何気なく隣の第三巻を手に取り裏表紙に書かれていたあらすじを読んでしまったことで、いま読んでいる結末が見えてしまい落胆した。もっとも、輪廻転生という作品のテーマを考えれば、わずか100ページも満たない先の帰結など容易に想像出来ることでもある。さらに付け加えれば、第三巻である「暁の寺」を物語の舞台でもあるタイへの旅行の事前準備の一環としてガイドブックと共に購入していたわけで、7年も前のこととはいえ裏表紙に記されるあらすじは変わっていない。結果として冒頭しか読まなかった暁の寺だが、何もかも都合良く忘れられると、そのあらすじを再度読みながら思った。

 

春の雪は、とにかくマッチョであることを強いる小説である。登場人物も、著者本人もそうであろうとし、読者にもマッチョであることを強いてくる。水のように流れる文体を好みとしている者にとって、険峻な岩山のような彼の小説は骨が折れる。しかたなしに、形式上マッチョであると自身に言い聞かせて読み進めた。

 

並び立つ玲瓏な表現の美しさは触れるまでもないのだが、最も驚嘆したのは一つの文が句点で終わりを告げたあとに導かれる次の文の展開に独特の感性をみたところだった。それも、あからさまな特異さによって、その前後の文は繋がれているわけではなく、素足で砂地を歩いていると構成する砂の性質の変化が足裏から伝わってくるような、非常に微細でいて、感覚には明瞭に訴えるものなのである。これまで三島由紀夫の著作を含めた他の小説では目にすることのなかったものだった。このようなことが許されるのかと、世界が開けた気がした。

 

さて、主人公の清顕。小説の中から抜き出せば、

 

清顕のその美貌、その優雅、その性格の優柔不断、その素朴さの欠如、その努力の放棄、その夢みがちな心性、その姿のよさ、そのしなやかな若さ、その傷つきやすい皮膚、その夢をみるような長い睫…

 

となるのだが、美貌や優雅さ、今となっては若さを除けば、清顕は自分そのもののようだった。愛にすら幼く、愛する者を冷酷に扱う点においても。清顕への不快は自身への不快となり、清顕への鬱憤は自身への鬱憤となる。そう思い込んでしまうと、清顕の親友である本田の言葉はむしろ心地いい。

 

「貴様は感情の世界だけに生きている。」

「貴様には意志というものが、まるっきり欠けているんだ。」

 

親友の言葉にも清顕は目覚めることはない。こういった言葉をかける親友がいることに陶酔し自尊心を満たしているのだから。清顕と同様に「何か決定的なもの」を欲しがりながら、幼さに身を任せているものにとっては、正に夢日記のような小説だった。

 

 

 

PhotoRecによるデータ復旧

 

Cドライブはもういいかといったん諦めHDDをしまいかけたが、なんとかなりそうな気がしてきたし昔の写真を見ていたら、Cドライブの中身も見てみたくなった。Cドライブのみチェックディスクを試みると、次のメッセージが。

 

ファイルシステムの種類はRAWです。RAWドライブにCHKDSKは使用できません

 

この状況のでのこのメッセージはパーティションが壊れている意味らしい。ここで、パーティションの復旧に主眼を置けば良かったもののデータのサルベージしか頭になかったため大きなミスを犯した。試みたのは、PhotoRecという無料のファイル復元ソフト。

 

オープンソースで無料のファイル復元ソフト「PhotoRec」

 

2007年と昔の記事だけれど、今も使い方は変わっていない。

 

ドライブを指定して、抽出する拡張子を選んだら、勝手に探してくれるのだけれど全てのデータから探すのでファイル数がとんでもないことに。そして、時間もやたらかかる。抽出する拡張子をかなり減らしてもjpgだとテンポラリーなどネットの履歴のものも探してくるからどうしようもない。HDDにも負担がかかるみたいで、何度かやり直しているうちにHDDがおかしくなりはじめて完了までに300時間オーバー。10日以上って…。嫌な音を立ててガリガリ言ったり、気が気でない。一晩放置してみたが、途中で完全に止まってしまった。

 

再度、HDDを確認してみると、Dドライブまで不具合がでてきてしまった。ここでパーティションの復旧にとりかかるのだが、「TestDisk」という先ほどの「PhotoRec」と同じ所から提供さており、PhotoRecをダウンロードした際に既にダウンロード済みだった。

 

「TestDisk」の使い方

 

が、既に完全にいかれたらしく無駄だった。最初の段階で試してみていたら復旧していたかもしれないのに。しかたないので、Cドライブをフォーマットしてから、データをサルベージすることに。するとすんなり上手くいった。使ったのは先ほどのPhotoRecなのだが、全データをスキャンしているためとにかく時間がかかる。結局、3000万セクタを16時間以上かけて終わった。卒アルを作っていた頃のためか誰がどこで撮ったかすらわからない写真がぞろぞろと出てきたり、当時ネットで見ていたであろう好色な写真やら1万以上のデータから必要なものの選別にも骨が折れた。Dドライブ復旧時のような懐かしさよりも、浪費した時間と手間を恨めしく思う気持ちの方が上回った。

 

そして、一番欲しかったデータは、一部分だけ、しかも壊れたデータしか復旧できなかったけれど、もうそれでいいような気がしてきた。埋めた場所が分からなくて必死に探したり、見つからなかった中身を回想するのも、タイムカプセルの醍醐味のような気もするから。

 

 

タイムマシーン

MacBook AirをHDDからSSDに換装したはいいものの、取り出したHDDを外付けにするためのハードディスクケースをどうしようか悩んでいた。1.8インチでしかもコネクタが違うし、合うケースなんてあるのかと思ったら、ZIFコネクタ用の物が種類がかなり少ないもののあった。というか、現在売っているものだとこれくらいしか見つからない。

 

東芝製1.8インチハードディスク(ZIFコネクタ)用 外付けケース

 

そういえば、最初に買ったパソコンが壊れて修理に出すとHDDの交換が必要といわれ、いつかデータを取りだせるかも思い念のため元のHDDも送ってもらっていたことを思い出し、外付けとしてつなげてみた。すると、HDDは認識するもののエラーを起こしてしまい、修復を試みるも失敗。Macで修復すりゃ当たり前かと思い、Windowsからチェックディスク。プロパティーからのチェックディスクがうまくいかないので、コマンド プロントで実行。

 

Windows XP でディスクのエラーをチェックする方法

 

再度、つなげてみるとCドライブへのアクセスは相変わらず拒否されるものの、Dドライブは復旧してくれた。中身を見てみると、7年以上の写真がごろごろと。大学時代の写真やボストンにいた時の写真を今は全く持っていなかったので懐かしさに高揚した。HDDって、忘れた頃に見るといいタイムマシーンになりそうだ。どちらかというと、タイムカプセルか。記憶メディアをタイムカプセルにして、10年後くらいに届ける。そんな商売があってもよさそうと思うくらいに過去に浸った。