硝子戸の中


読んでいると、夏目漱石が愛おしくなってくる。




「講演内容がわからなかった。」と一学生に言われたことに対して「本当は講演やりたくなかったし…」とずるずるいつまでも引きずっていたり、節操のない人からの頼み事に嫌悪しつつも断り切れなかったり。正直に生きたいと思いつつそれを許さない世間と自分に嫌気が指して、自身を卑下し、他人を怖がってたいそう彼は生きづらかっただろう。




ある不幸な過去をもった女の話に、夏目漱石がつまっている。




 女の話を自宅で聞いていたところ夜が更けてしまったから送っていくと申し出たところに「先生に送って頂いては勿体のう御座います」と言われたところ、




「勿体ない訳がありません。同じ人間です」




そう驕っていないどころかどこか哀しみをもった言葉を返し、




彼女の話を聞きながら、普通なら励ましたり慰めたりするところを




私の力でどうする訳にもいかない




と、やや突き放したような言い方をする。けれど、次には深く愛情のある言葉を送っている。




その人はとても回復の見込みの着かない程深く自分の胸を傷つけられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美しい思い出の種となってその人の面を輝かしていた。




もし小説として続きを書いたならば始末として死ぬべきか生きるべきかと問われながらも、ついに答えられず




 常に生よりも死を尊いと信じている私の希望と助言は、遂にこの不愉快に充ちた生というものを超越することが出来なかった。




とし、自分を疑い嘆いている。




不愉快に充ちた人生と嘆きながらも、よく彼は彼の言う尊さや楽な道を選ばず病死できたと思う。なぜかそれをとても嬉しく感じる。




もちろん、本人が嬉しかったかは別として。




硝子戸の中 (新潮文庫)

著者/訳者:夏目 漱石

出版社:新潮社( 1952-07 )

文庫 ( 120 ページ )


明暗

本を読んでいるとつい手元にある紙切れをしおり代わりに使ってしまうことが多い。美術館などの半券やおみくじだとかとにかくしおり代わりになれば何でもそうしてしまうのだが、後々本を読み返すとき、あらすじと共に挟まっている「しおり」のあらすじに触れるのも一つの楽しみだったりする。明暗に挟まっていたのは、2006年に上映された海猿の映画の半券。ただ、読み返したわけではなく、6年以上かけてダラダラと読みすすみ、ようやく読み終わった。

 

夏目漱石は、タイトルをあまり考えずにつけたと嘘だか本当だか分からない話を聞いたことがあるけれど、作中の感情、人物、時間の直前直後の対比を目の当たりにすると、明暗という題は恐ろしいほどに適切な気がする。そして、もう一つこの作品の恐ろしいところは、読者が「この登場人物の味方になろう」という視点になりえる人物が一人もいないまま話が進んでいく。それが常に読者を第三者であらせようとする作品の面白さだったり、読むのに6年もかかってしまった理由だったりもするのだろうけれど。