7年越し

大学に入る前だから、もう7年以上前にでもなるのかな。
料理評論家の山本益博さんが、あるラジオ番組にでていた時に紹介していた豚カツ屋があって、
「そこの豚カツを食べずして、豚カツを語らないでほしい。」
とまで彼が言っていたお店で、番組の中でみんなに教えてしまうには惜しいからと言って、店の名前も教えてくれず、上野の丸井の裏という大体の場所しか放送されていなかった。

彼自身は大して好きでもなかったけれど番組(に出ている放送作家)が好きだったこともあって、いつか行くのをを楽しみにしていた。そのうちお店の場所も見つけたのだけれど、豚カツになかなか3000円も出せる身分でもなかったし、行こうと思ったときは閉まっていたりと、歳月だけがただ過ぎてしまっていた。噂では、その間に先代が亡くなり息子さんが跡を継いだというのは聞いていた。

で、7年越しに行ってみた。

翌日お腹をひどいくらいに壊した…。

それは別として、念願の豚カツは残念なものでした。息子さんの代になって技術が落ちたとは聞いていたけど風評に過ぎないと思っていた。でも、きっと先代のは本当に別物だったんだと思う。

店が汚らしいのは別にいいとして、ごはんや味噌汁を含めて料理そのもののセンスを疑ってしまう。3cmくらいの分厚い豚カツも、確かにそれだけの厚さの肉に火を通すのは大変だろうけど、でもただ火が通っているだけ。期待しすぎていただけに、すごく残念。今度、自分で作って先代の豚カツを復元してみようとすら思った。

行ったことがなかったのにも関わらず色々と思い出のある豚カツ屋だけに、なんだか考えさせられました。

夜明け

旅行中に刻み込まれた曲というのがどの旅にもあって、その曲を聴くといた場所の空気や匂いまで蘇って、すっぽりと旅情の名残に包んでくれる。
面白いのは、その曲が特別好きというわけではなくて、駅で電車待ちをしている時に聴いていた中の一曲だったり、手紙を書いている時のBGMの一つだったりと、後から振り返ってみると、その曲がいつの間にか旅の曲になっていることが多い。

せっかく異国にいるのだから土地の音も感じようと、できるだけ避けようとしているものの、どうしても待ち時間や移動時間には音楽が恋しくなる。空港で一夜を明かしたときは、たった8時間程度なのに無くしたイヤホンの変わりを探しまわってたくらい。

もうだいぶ前になってしまったインドの旅でも「曲」があって、ふとした時にその曲を聴くだけで、インドの薫りに身を浸らせられる。

日本語を教えてあげると約束しながら行けなかったこととか、火葬場で骨が露わになりながら焼け落ちていく人の遺体だとか、届かない手紙を書いていたゲストハウスのじれったい空気を掻き回すシーリングファンの軋む音だとか。

少し哀しいメロディーに沿って、思い出されるのは心の小さな箱に詰め込んでおきたいこと。なんとなく夜明けのもどかしさに少しだけ似ている。滞在中は毎日みたガンガーの夜明け。暁闇はインドの光と影の二面性が混ざり合う唯一の時間なのかもしれない。それがインドに持ったイメージになりつつある。

インドは自分の中で一つの区切りになるものだった。それでフラフラする気持ちは少し落ち着くかなと思ったけれど、最終目的地のパタゴニアまでは続きそう。