明暗

本を読んでいるとつい手元にある紙切れをしおり代わりに使ってしまうことが多い。美術館などの半券やおみくじだとかとにかくしおり代わりになれば何でもそうしてしまうのだが、後々本を読み返すとき、あらすじと共に挟まっている「しおり」のあらすじに触れるのも一つの楽しみだったりする。明暗に挟まっていたのは、2006年に上映された海猿の映画の半券。ただ、読み返したわけではなく、6年以上かけてダラダラと読みすすみ、ようやく読み終わった。

 

夏目漱石は、タイトルをあまり考えずにつけたと嘘だか本当だか分からない話を聞いたことがあるけれど、作中の感情、人物、時間の直前直後の対比を目の当たりにすると、明暗という題は恐ろしいほどに適切な気がする。そして、もう一つこの作品の恐ろしいところは、読者が「この登場人物の味方になろう」という視点になりえる人物が一人もいないまま話が進んでいく。それが常に読者を第三者であらせようとする作品の面白さだったり、読むのに6年もかかってしまった理由だったりもするのだろうけれど。

バラ@旧古河庭園

バラの原種は中国や日本なんだよ、と無駄な知識を仕入れたところ、ちょうどバラを鑑賞する機会が。

 

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その日本の野薔薇。花弁の数から咲き方を含めて全く違う。

 

当初は写真を撮る目的で行ったものの、バラを見てこの品種がどこの国によるものかを当てるのが意外と面白かった。フランスは華美、日本は品が良い、ドイツは質実剛健だけれど品種によってはどこよりも繊細。アメリカはよくわからない。そんな感じ。

 

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個人的なベストショット

花びらの透けた具合が好きだけれど、何の写真 だかわからないか。

 

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バラを横から見るとこんな感じ

 

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 人が撮った写真を見ていると、同じ物でも視点の違いが面白く、こういう眼で見ているんだという驚きを感じてしまう自分に、今更かとも言いたくなる。もちろん、人から批評されるのも嬉しいのだけれど。

金環日食

今更だけれど、金環日食。

何も用意していなかったけれど、雲が良い感じに減光してくれてフィルタなしで撮れる結果に。

 

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ダイアモンドリングもどき

 

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二重リング、というかぶれただけ・・・

 

 

初代MacBook Air SSD換装後ベンチマークテスト結果

以前換装したSSDは相性が悪かったらしく認識しなくなり、元のHDDに戻して使用してSSDは放置。ただ、そろそろ保証期間が切れるので、修理という名の交換をしてきた。換装した結果はすこぶる快調。HDDだった際に時々固まってしまっていたストレスも全くなし。

 

改善された具合を数値で見たくなって、ベンチマークテストをしてみた。

SSDに換装後のベンチマークテストの結果(使ったのはXbench

 

Disk Test 61.09 
Sequential 63.81 
Uncached Write 48.61 29.84 MB/sec [4K blocks]
Uncached Write 68.02 38.49 MB/sec [256K blocks]
Uncached Read 47.28 13.84 MB/sec [4K blocks]
Uncached Read 159.67 80.25 MB/sec [256K blocks]
Random 58.59 
Uncached Write 30.34 3.21 MB/sec [4K blocks]
Uncached Write 31.72 10.15 MB/sec [256K blocks]
Uncached Read 976.20 6.92 MB/sec [4K blocks]
Uncached Read 363.68 67.48 MB/sec [256K blocks]

 

換装したSSDはこれ

 

でも、元々のHDDの結果がないので、どれだけ改善されたかわからない。馬鹿すぎる。

 

調べてみると、この機種をSSDにした場合、この値は少し低めだけれど、まぁこのくらいらしい。そもそも決して性能の高いSSDではないし。

ただ、新しい機種の結果を見ると、3倍以上、値によっては10倍近く違うらしい。そこまで重たい作業もしてないから必要性も感じないのだけれど・・・。う〜ん。もう4年近く使っているしね。

 

 

ちょくちょく初代のMacbook Airの換装で検索してくる人がいるのでご参考までに。

SSDへ換装した記事はこちら

The wind rises. We must try to live.

日本の小説を英語で紹介するJブンガクという番組があってよく見ていた。ターゲットが誰なのか、いまいちわからない番組ではあったけれど文学的な英語の表現が新鮮で、こういう言い回しをするのだという発見が何度かあった。その逆に、英語から日本語を理解することも。そのJブンガクで紹介されていた風立ちぬ。

 

すぐ立ち上がってゆこうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

 

「私、なんだか急に生きたくなったのね……」

 

「あなた……」彼女の声は今度は殆ど中世的なくらいに聞こえた。「いま、泣いていらしたんでしょ?

 

あなたはいつか私にこう仰ったでしょう、

ー私たちのいまの生活、ずっとあとになって思い出したらどんなに美しいだろうって……

 

 

と、一文を抜き出して紹介されると、とても素晴らしい名文のように感じてしまう。以前読んだときは、あまり感動を覚えなかったと記憶しているものの、ついつい読み返したくなって、本棚から引っ張り出して読み返してみた。

 

中学の頃に教材にでも使ったのか線が所々に引っ張ってあった。その頃の自分に教えてあげたくなった。

 

「そこじゃないんだよ、この部分の表現て独特で素敵じゃない?」

「あ、ここに注目するのはいいよね。でも、前のこの流れがあってこそだよね。」

 

当時、この小説の凄みに気づけていないならば、その後に読んだ小説もまた何も理解していなかったのだろう。ならば、なんのための読書だったのか。これまで、面白さを理解するのに十数年の研鑽を必要だと分からずに読んだ気になっていたのだから、ずいぶんとむなしいものがある。あるいは、また十数年後に「そこじゃないんだよ」と言っているのだろうか。

 

 

 

 私は立ち上って、半開きにしてあった窓をもう少し細目にしながら、その硝子ガラスに顔をくっつけて、それが私の息で曇りだしたほど、じっと雪のふるのを見つめていた。それからやっと其処を離れながら、節子の方を振り向いて、「ねえ、お前、何んだってこんな……」と言い出しかけた。

 彼女はベッドに寝たまま、私の顔を訴えるように見上げて、それを私に言わせまいとするように、口へ指をあてた。

 

 (中略)

 

「それにとても可笑おかしな夢を見たの。あのね……」彼女が私の背後で言い出しかけた。

 私はすぐ、彼女が何か打ち明けにくいようなことを無理に言い出そうとしているらしいのを覚さとった。そんな場合のいつものように、彼女のいまの声もすこし嗄しゃがれていた。

 今度は私が、彼女の方を振り向きながら、それを言わせないように、口へ指をあてる番だった。……

 

 

病床の恋人を慈しむのはもちろんのこと、どこまでもつぶさに相手を観察し理解し愛を共鳴させているのに、痛々すら感じてしまう。作中の言葉を借りれば「私たちのいくぶん死の味のする生の幸福」の中にいることを互いに理解しているからこその所行だとはいえ、世の中の恋人というものは、こんなにも相手の何気ないしぐさに気づき、自然と体系づけられているのだろうか。

 

この二人を見ていると、自分はどうもかつて好きだった相手のことを何一つ知らなかったようの思える。

 

風立ちぬ、いざ生きめやも。

 

 

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

著者/訳者:堀 辰雄

出版社:新潮社( 1951-01 )

文庫 ( 233 ページ )


 

難しい、話

マクロレンズを欲しくなったけれど「モノのない暮らし」を目指している以上安易に買いたくないので、クローズアップレンズを買ってみた。結局、一つ物が増えてるじゃん…。実際には、どのマクロレンズにするか吟味する時間がなく安くてぱっと買えるクローズアップレンズにしただけだけれど。

 

普通のレンズにフィルターを付けるようにするだけで、マクロレンズもどきになる手軽さは想像以上で、旅行の時とか荷物を増やしたくないときは重宝しそう。一方で、カメラとの相性なのかピントは合わせづらい。

 

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実力より目標が遙かに高すぎて難しいと成長している実感がなく、つまらなくなって諦めてしまう。低すぎても同じようにつまらなくて諦めてしまう。恥ずかしながら、調度いい目標を定めるのがとても苦手だったから色々な物に手を出しても続かなかったんだとこの歳になってようやく気がついた。

 

写真も同じで、撮ってみたいな、という構図を同じように撮ろうとしても撮れずにいつのまにかつまらなくなっていった。それがどれだけ難しいかを知らずに。最近、ある写真を撮ろうと思って全く上手くいかずそれに気づいた。構図だけではない、物の配置についてどれだけ考えられているか。自然に起こりえないものを、どれだけ自然に写り出させるかを。こんなにも遠い道を、近道しようとして飽きてしまったのだと。

 

飯の種にならない個人の芸術活動にどれだけの価値があるのかと聞かれると、それもまた難しい。趣味として、ならもっと身になるものをとも思わないわけではない。どこまでいっても自己満足、とでも折り合いをつけて身の丈にあった目標を定められれば、もう少しは上手くなるのかなとも思うけれど, 価値を見いだそうとしているあたりに身の程知らずの抜けきれない愚かさがあるのだろう。

Y

佐藤正午の本のタイトルだけれど、感想というよりは思うことがあったので。

 

絶対にいいからと、P.S. アイラヴユーを薦められた人から借りた物だったけれど、どちらも全く共感出来なかった。P.S. アイラヴユーの時は単純な感性の違いで済ましたけれど、これを読んでいて気づいた。どこまでいっても自分は誰かを愛したい人なのだろう、と。

 

P.S. アイラヴユーは夫に先立たれた妻へ、死んだはずの夫から毎月手紙が届くという設定のもと、訪れたことのない夫の故郷へ行った時に成り行きで男と寝て、翌日に夫の実家に行くとか全く理解できなかったし、夫からの最後の手紙を自分の恋人になるかもしれない人に読ませて読み終わったらキスするとか、タイトルになっている手紙に対して全く敬意をはらってないじゃん、夫の手紙に一番敬意を持って接していたのが夫のことを嫌っていた母親ってどんな皮肉だよ!みたいな憤りがあった。

 

Yも、タイムリープをして救った片思いの女性は、救った後に親友と結婚してしまったのは致し方ないとして、救った時点で不倫をしていて親友との子供は実は不倫相手の子供かもしれないというのに、苦い感情が流れた。

 

憤りや苦い感情は、どちらも愛する側の目線で見ているからなのだろう。

 

一方で、この2つの作品を好きな人は誰かに愛されたい人なのだろう。棘のある言い方をすれば、愛される人の素養に関わらずただ愛して欲しいのだろう。

 

愛したい人と愛されたい人ならば上手くいくものかとも思うけれど、愛したいのは、愛されるための歪んだ感情の発露であるし、自分の愛する人はこの愛情に価する人であるべきだという過度な思い込みをもって相手の幻を作るのだから上手くいくはずもない。P.S. アイラヴユーやYにでてくる全てを受け入れるという、愛されたい人の望む愛ではないのだから。

 

そうして本と重ね合わせた持ち主のその姿もやはり幻なんだろうか。

 

Y (ハルキ文庫)

著者/訳者:佐藤 正午

出版社:角川春樹事務所( 2001-05 )

文庫 ( 321 ページ )


美人局


Facebookに知らない女性からメッセージが来ていた。大阪のある高校の名前を出して「同級生の方ですか?」と。「違いますよ。」で終わるはずだったのに、何度かメッセージのやりとりが続いている。

 

名前の響きはせつない思い出があって、いつかまた会いたい人なこと。さんざん迷ってメッセージを送ったのは、同姓同名だったのはもちろん、写真の後ろ姿の雰囲気が似ていた、と。

 

後ろ姿という言葉を何度も繰り返す彼女は、思うに高校のころそうやって好きな彼をずっと見ていたのだろう。隣を歩くのを許されなかったり、あるいは許されなくなったりしたなか、見えなくなるまで後ろ姿を見送りながら振り向いてほしいとねがい、口に出せない思いを小さくなっていく後ろ姿に投げかけて…。そうして切ない思いはいつも後ろ姿が受け止める。むしろ、受け止めるのが後ろ姿だから切ないのかもしれないけれど。

 

卒業と同時に、まぶたの奥に映る彼の後ろ姿に大切にしまっていた恋心を彼女がそっと取り出して、言葉に並べているのがどうにもこちらまで少し愛おしく思えきて、 高校時代の同姓同名の彼と入れ替われるならいくらでも振り向いてその思いを受け止めてあげるのに、なんて人の恋路を勝手に想像するのも面白い。

 

 

と思っていたけれど、引っかかった言葉があった。

 

 

他の人はプロフ写真が全然違ったり…

人違いであれば、無視されるかツリと思われて…

 

 

プロフという言葉はそれほど一般的に使われるものなのか。「ツリ」という言葉が状況に合わせてすんなり出てくる女性がどれくらいいるのだろうかと。

 

前者はくだけたメッセージならば気にしないが、とても丁寧な言葉遣いの中で、どうにも浮いた言葉に見えてしかたなかった。後者は明らかに場違いだ。そう思い始めると色々と怪しく思えてくる。非公開というわけではなく、フィードには何も投稿していないし、そもそもからして友達が一人もいない。むしろ怪しすぎて怪しくない。

 

ツリなら釣られて骨までしゃぶられない程度に釣られてみよう。ツリだったとしても高度すぎて、まぁいいやと思ってしまいそうだ。

手紙


手帳を開くと懐かしい香りがした。




ほとんど使われなかった手帳に残された香水の匂いは、当時よりも強く鼻をくすぐってきた。わずかに残っていた愛おしさと共に。その香りを振り払うように、ひとつ大きくため息をついてみた。半年経ってもなお前に進めずにいる自分への嘆きも一緒に吐き出した。




互いに網にからまって飛べない鳥であり、同時に網でもあった。ならば、互いを記憶から消してしまう以外に、前に進む方法はないのだと思っていた。けれど、前に進めていないのは自分だけで、ひとりでどんどん前に進んでしまうのを恨めしく感じていたんだ。それに気づかず、見えなくなっていく背中に罵声を浴びせて、追い払いつつ引き留めていた。相手はもうとっくに新しい世界を歩んでたというのに。




手帳に残された香りを再度かいでみて、かつての愛情が香りのようには残っていないことも感じた。さっき感じた愛おしさが、最後のそれだった。




これで、ようやく前に向いて歩いていける。




そう思った。