日本の小説を英語で紹介するJブンガクという番組があってよく見ていた。ターゲットが誰なのか、いまいちわからない番組ではあったけれど文学的な英語の表現が新鮮で、こういう言い回しをするのだという発見が何度かあった。その逆に、英語から日本語を理解することも。そのJブンガクで紹介されていた風立ちぬ。
すぐ立ち上がってゆこうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
「私、なんだか急に生きたくなったのね……」
「あなた……」彼女の声は今度は殆ど中世的なくらいに聞こえた。「いま、泣いていらしたんでしょ?
あなたはいつか私にこう仰ったでしょう、
ー私たちのいまの生活、ずっとあとになって思い出したらどんなに美しいだろうって……
と、一文を抜き出して紹介されると、とても素晴らしい名文のように感じてしまう。以前読んだときは、あまり感動を覚えなかったと記憶しているものの、ついつい読み返したくなって、本棚から引っ張り出して読み返してみた。
中学の頃に教材にでも使ったのか線が所々に引っ張ってあった。その頃の自分に教えてあげたくなった。
「そこじゃないんだよ、この部分の表現て独特で素敵じゃない?」
「あ、ここに注目するのはいいよね。でも、前のこの流れがあってこそだよね。」
当時、この小説の凄みに気づけていないならば、その後に読んだ小説もまた何も理解していなかったのだろう。ならば、なんのための読書だったのか。これまで、面白さを理解するのに十数年の研鑽を必要だと分からずに読んだ気になっていたのだから、ずいぶんとむなしいものがある。あるいは、また十数年後に「そこじゃないんだよ」と言っているのだろうか。
私は立ち上って、半開きにしてあった窓をもう少し細目にしながら、その硝子ガラスに顔をくっつけて、それが私の息で曇りだしたほど、じっと雪のふるのを見つめていた。それからやっと其処を離れながら、節子の方を振り向いて、「ねえ、お前、何んだってこんな……」と言い出しかけた。
彼女はベッドに寝たまま、私の顔を訴えるように見上げて、それを私に言わせまいとするように、口へ指をあてた。
(中略)
「それにとても可笑おかしな夢を見たの。あのね……」彼女が私の背後で言い出しかけた。
私はすぐ、彼女が何か打ち明けにくいようなことを無理に言い出そうとしているらしいのを覚さとった。そんな場合のいつものように、彼女のいまの声もすこし嗄しゃがれていた。
今度は私が、彼女の方を振り向きながら、それを言わせないように、口へ指をあてる番だった。……
病床の恋人を慈しむのはもちろんのこと、どこまでもつぶさに相手を観察し理解し愛を共鳴させているのに、痛々すら感じてしまう。作中の言葉を借りれば「私たちのいくぶん死の味のする生の幸福」の中にいることを互いに理解しているからこその所行だとはいえ、世の中の恋人というものは、こんなにも相手の何気ないしぐさに気づき、自然と体系づけられているのだろうか。
この二人を見ていると、自分はどうもかつて好きだった相手のことを何一つ知らなかったようの思える。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
