結婚指輪

吸い込まれるように、婚約指輪が彼女の薬指に収まった。
手をひらひらと返す彼女の指下でダイヤモンドの散りばめられた指輪は、そこにいるのを喜ぶようにキラキラと周囲に細かい光を舞い散らせる。

けれど、見とれたのは指輪の輝きではなく、指輪をケースからそっと出し指輪をはめるまでの一連の行為とその行為を紡ぎだす彼女の指だった。

親指と人差し指の先で清らかに指輪が運ばれ、薄っすらとマニュキュアの塗られた爪をすり抜け、節と節の間が長く白い指に滑り込む。そのしぐさを見ている側も、指輪と皮膚のすれる音を聞き、節を通過する際のわずかな抵抗を確かに感じた。結婚指輪という、見慣れない物を目の前にして、自分まで高ぶったのかもしれない。

結婚指輪について、また結婚相手についていくつかの質問をすると、彼女は一つ一つの質問対して、丁寧にエピソードを添えて若干照れながらも答える。彼女と婚約者との二人だけに許される暗号めいた行為を聞きながらも、不思議と疎外感や惚気に呆れるといったことはなかった。

指輪をする一連のしぐさは、間もなく迎える結婚への過程とその後の生活が彼女にとってどれだけ愛しむべきものかを表現するには十分すぎるものだった。それを見てしまった以上、もう彼女の世界の中に足を踏み入れてしまったのだろう。主役の彼女を盛り上げるつたない脇役として。
 
指輪の持つ幸せの価値は、決して特筆すべきものではなく万人が持てるようなものだろう。結婚そのものに憧憬を持つほどのものではないと感じていた。けれど、脇役になり彼女の物語に触れることで、彼女が今もっている幸せの重さの一片を感じることで、幸せを掴む方法を教えられたような気がした。一塊の大きな幸せではないかもしれない、けれど、恋人との何気ない会話、恋人と創りだす空間に、小さな幸せを少しずつ集めれば増幅されこれほど幸せになれるのだと。

そんな抱えきれないほどの幸せを指輪に押し込めて、押し込められなかった分は指輪をいじりながら表情に滲み出す彼女に少し嫉妬し、幸せを手に入れられられそうにない自分に焦りを少し覚える。

それにしても、今まで何度も目にする機会があったはずなのに、これほど華奢で綺麗な指をしていたことになぜ気付かなかったのだろう。元々美しかったものではなく、指輪をするために美しくなったのではないかという疑念すら湧いてくる。

指輪は、一人の女から花嫁へ変えるための道具であり規定するものである。ある種、貞操帯のようにそれまでの世間から乖離する意識付けのための物なのかもしれない。指輪をする度に、単純な幸福の願いを込めるだけでなく、様々な意志を込めることによって、花嫁として妻としての役割と自身の溝を無意識に埋めていくのではないだろうか。

学生から社会人になった時の急激な大人の女性への変化に驚いたのがついこの間だった気がする。不器用そうなくせに、役割をこなすために自分を成長させ自然と振舞う技術を、幸せを呼びこむ技術をどこで身に付けたのだろう。

今後も彼女は、妻という役割、やがて母という役割を無難にこなしていくのだろう。その度に少しずつ大人の顔になりながら。小さな幸せをめいいっぱい抱えながら。

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