ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

エンドロールをみながら、作品を思い返すより10年の年月が過ぎたことをしみじみと感じてしまった。ハリーポッターの最初の作品はアメリカでみた気がする。見た場所や内容は覚えていないけれど、ほとんど何も理解できず、見終わって落胆よりもむしろすがすがしい気分だったのを覚えている。

 

魔法とか未来の道具って使い出すとつじつま合わせが難しい。魔法を強調するために日常の些細なことに魔法を使いながら、物語を面白くするために肝心なところで魔法を使わない。使わせないために余計な決まり事を作って、物語がどこか硬直化してしまう。自分が持っていない感覚の世界を想像するのは難しいし、逆に持っている感覚がない世界を想像するのもそう。

 

個人的な話になってしまうけれど、絶対音感の話になるときなんて正にそう。持っていても普段の生活で何の役にも立たないし、何の意識もせず生活している。けれど、例えば調弦をするときにチューナーがないとできない感覚がわからない。わからないから想像が出来ない。夢のような魔法を使えても想像力にそに限界を左右されていると思うと少し悲しくなる。

 

でも、ハリーポッターがなかなか好きになれなかった理由は、登場人物が多すぎるからのような気がする。しかも外国人の名前なんて。どの名前がハリーの見方かすらもよくわからなくなってくる。5人以上の名前を覚えられない自分には、ドラえもんくらいが丁度良いみたいだ。

 

そんなことを思いながら、とにかく10年という時間が過ぎた。

 

 

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