「三月でハサミを置くことになりました。」
言い方が粋で、職人ぽい。
実際、職人に近い。20歳から今の美容室にいて、店では一番の古株になった。それなりの肩書きも持って、腕もいい。ちょっと抜けた可愛らしさを見せるのに、一歩、客の前から離れると、きびきびとして後輩に対する指導も熱い。
だから勿体無いと思った。なるほど、この店でハサミを置くのであって、地元に戻って美容師を続けるのだろうと解釈した。
が、あけちゃんは続ける。
「次は、ネイルをやります。」
「その前に一ヶ月ぐらい休みを取って、旅行にでも行こうかな。いつも旅行の話ばかり聞いていて羨ましいし。」
専門学校から数えれば、愚直なまでに美容師に捧げた10年を振り返りつつ、旅行に行く時間もなかったとちょこっと恨めしそうに言った。ただ、過去を振り返るために一つ一つ選び出した言葉からは、美容師という職業に対する自負と別の道へ進む迷いが薄っすらとみてとれた。
そんな突然の話にすっかり忘れてしまっていたが、
「今日は私の誕生日なんだ。」
と会った時に言われていた。
偶然、旅のお土産を持ってきていたのだけれど、誕生日ならばもっとお祝いにふさわしいものをあげればよかったと後悔。
帰り際、美容院の表で短く立ち話をした。薄着で寒いはずなのに、そんな表情すら一切みせず、
「ありがとう、また2月、3月もよろしくね。」
すがすがしい笑顔で送りだす。あけちゃんにとっては、失礼な話かもしれないが、腕よりもこういった人柄に惚れて、ずっとお願いしていた。
大寒の冷たい風が心にしみる。
ふと脈略なく山本文緒の著書の表題を思い出した。
「みんないってしまう」
今年、悲しい出来事が幾重にも続いてしまう途方もない不安が広がる。
みんな行ってしまったら、自分はどうするのだろう。
いかないで、なんて性格的に言えずに、黙って見送ってしまうのだろうか。いや、きっと性格的に、何気ない顔をしてネイルをしにあけちゃんの元へ行くのだろう。
数年前まで心地よかった孤独が、今はひどく寂しい。