嫉妬


その日、立教大学の学生に初めて嫉妬した。




池袋がどうも好きにはなれなくて。
駅の改札をでると天井の低い圧迫された空間に押し込められ、
そこに過剰な人の量が流れているからだったり、
地上に造られた建築物の無秩序さが原因の気がする。
でもそれは、日本の大都市には多かれ少なかれあてはまるものだから、
たいした問題ではない気もする。




わからないから、
「どうも」
なのだ。




もっとも
「好きになるに理由なんてない。」
なんて、少女漫画にいくらでも出てきそうな台詞を使って、
「好きになれないのに理由なんてない。」
と言って、言葉遊びを始めたところで、何も始まらないので、話を先に進めよう。




とりあえず、池袋を毛嫌いしる。
池袋の街も人も。




けれど、立教大学のそばにある小さなカフェが、
池袋のイメージを少しだけ変えてくれた。
僕の池袋の毛嫌いの度合いを知れば、その小さな変化をもたらしたのが、
どれほどの衝撃だったか想像に難くない。
池袋にこの店を出したオーナーのセンスを疑ってしまったほどである。




このカフェは流れている時間が変わらない。
カフェの外は、夕暮れを向かえ暗くなるごとに、行き交う人は種類を変え、
街もそれように変わっていく。
このカフェは、客の顔が少し変わる以外に、何も変わらない。
各テーブルに置かれたろうそくの揺らめきも、店員と客とのちょうどいい距離も、
時々立ち込める、美味しそうな香りも。




座った僕の目の前に、本当に目の前に便箋が売っていて、それを手にとって、
「私はここにいる。」
そう書いた。




ネパールの手腰紙らしいそれは、紙が書かれる物だとするなら最低の出来で、
ペンのすべりが恐ろしく悪い。
おまけに店も薄暗くて、普段から汚い字が、ミミズのはった字となってしまった。
けれども、よくよく見ると、手漉紙の自然な風合いと、
象形文字のような字がマッチしていて味わいがでていた。




店主がここまで考えていたなら恐れ入るのだが、
少なくとも手紙を誰かに出したくなる店を創り、
そこにあえて便箋を置いたと思うのは、考えすぎだろうか。




切手と郵便ポストまで置いてあれば、申し分ないのだが。




途中、幾人かの学生が入れ替わり来て、店員と雑談して帰っていった。
若い人たちである。ともすれば、会話に夢中になり、
大きな声で店の雰囲気を壊してしまうだろうが、そんなこともなかった。
このカフェを愛する人が、愛するカフェをつくっている。




店員と学生の会話を余所耳に聞きながら、
今度はいつ来れるだろうかと自分のスケジュールを確認した。




確認するまでもなく、いつでも行けるのに気づいた。

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