気持ちよく枝を伸ばした木、日に焼けて赤茶けた土。つい先日までいた光景とまるで違う世界にパタゴニアにいたのが遠い過去のように思えてくる。パタゴニアともブエノスアイレスとも違うアルゼンチン。「ブラジルが近いと思わせる」というのが的確に思える自然豊かで開放的な場所。
2時間ほど遅れてプエルト・イグアスのバス停に到着。いくら飛行機なんかよりクライニングできるとはいえ、12時間のバス移動は疲れた。ホテルを予約済みなので、ここでおばあさんとはお別れ。彼女は、以前知り合ったという韓国系アメリカ人についていった。「彼は安い宿を見つけるのがうまいんだよ」と言って。10時には着いてしまったので、まだチェックインできず荷物だけ置かせてもらいブラジル領事館へビザの申請に。書類を書いて簡単にできると思ったら、調べたときと変わっていたらしく、インターネットで手続きしたものを印刷しなければならないとか。しかたなく、ネットカフェを探したが、印刷できるネットカフェが見あたらず街をうろうろ。ようやく見つけたところでやろうと思ったが、いまいちわからず申請期限の正午も過ぎてしまい断念した。ホテルで調べてもう一度トライすればいいと考えていたが、今日は金曜日。土日は領事館がお休み。ブラジル側へは行けないことが確定した。
ついでに、メールをチェックしたとき「かなり大きい地震があったよ。」と友人からメールが来ていたが、それほど気にとめずホテルへ向かい、チェックインが出来るまでロビーで過ごすことにしたのだが、ロビーに着いて、テレビから流れる映像に驚いた。津波で街が飲み込まれていく映像にJAPONの文字。何を言っているのかわからないが、NHKの映像をそのまま流しているので、状況はなんとなく理解できる。パソコンを取り出し、Wifiのパスワードを聞いて、ネットで状況を確認した。電話をできる状態をつくろうと、スカイプをインストールしてログインすると、チャットが立ち上がって別の友人が日本の状況を教えてくれた。とりあえず家に電話しようと、スカイプのチケットを買い国際電話。実家にかけたが、声は聞こえるもののこちらの声が聞こえていない様子。しかたないので、友人を通じて連絡をしてもらい、パソコンからもメールが送れるように迷惑メールを解除してもらった。声は実際には途切れ途切れに聞こえていたらしいが。もう一つ心配な出来事は、バスターミナルで分かれたおばあさんのこと。原発が危ないうえに、実家の家族のことも心配なので状況を伝えたいのだが、居場所が分からない。せめて宿の名前を聞いておくべきだった。バスターミナルで分かれた方向に行ってみたのだが分からなかった。
少しは日本の状況は確認できたし安否確認もほぼできた。ただ、日本の真裏にいて、何も出来ないのは分かっていても落ち着かない。プエルト・イグアスの街をうろうろしていたのだが、思い立ってイグアスの滝へ行くことにした。その時まで、まるで行くつもりがなかったので、タオルやレインコートは持たず、持ち物はカメラとガイドブックだけ。パスポートもホテルに置きっぱなしだった気がする。
国立公園へ向かうバス停で日本人の学生に会ったので一緒に行くことに。なんでも、今日プエルト・イグアスについて、夜の便でブエノス・アイレスに向かうらしく時間がないのでパパッと見て変えるとか。イグアスで3泊するといったら、色んな人に驚かれたが、日帰りもないと個人的には思うのだが。ずっとバス移動だったらしく、地震の話をしたら驚いていた。ついでに、なぜチリに津波が来るかも説明させられた。「詳しいですね。そういうお仕事してるんですか?」って、いやいや…。彼は、国立公園の入場口で国際学生証による学割がきかないとぶつくさ言っていた。確かに入場料が高いけど。そういう態度や体格の良いところ、軽いのりが学生時代のとある友人に似ていて面白かった。
幸い、バスに乗っていると大雨になったが国立公園に着く頃には止んでくれた。国立公園に入ってすぐ、彼がトイレに行っているあいだ、ATMがあったのでお金をおろしたのだが、プエルト・ナタレスでの経験を生かして$50を選択し、50USドル分がでてくると思ったら本当に50ペソだった。手数料の無駄使い。あまり時間がないので、悪魔ののど笛に直行することに。どうせ、また明日来るので彼に今日は合わせて様子見だけしようと。国立公園内の汽車に乗って移動。1つめの駅でエル・カラファテで再会した前の取引先の人と再々会。イグアスの滝に行くとは聞いていたが、びっくりした。彼女は、エル・カラファテのあと、ブエノスアイレスからブラジルへと行きサルバドーレでカーニバルを見に行く予定だったが、チケットが取れずにリオやサンパウロのカーニバルを見てからイグアスの滝に来たらしい。リオで出会った日本人の女の子とブラジル側のホテルにいるらしい。ブラジル側の方がリゾートっぽく、それほど高くないホテルなのにビュッフェ形式の朝食と夕食がつき、かなり満喫しているとか。自分もブラジル側にすればよかったかなと、少し後悔。
悪魔ののど笛は、最寄りの駅から10分くらい歩いたところにあり、そこまでは湖ともいえそうな大きな川にかかる橋を渡っていく。この川の水が全てイグアスの滝として落ちていくのだから相当なものだろう。、悪魔ののど笛に近づくと、濛々とあがる水しぶきが霧状になって空中を彷徨っていた。はやる気持ちを抑えつつ、展望台につくと怒濤のごとく水が流れ、水煙で滝の底は全く見えない。以前、「ダムを見るとエクスタシーを感じる」と言っていた友人がいたが、こんな感覚なのだろう。そこにある空間や時間など、全てを飲み込みながら滝壺へと水が落ちているようで、射精時に味わう神経を貫いていく快感を、滝が貫いていってもなんら不思議ではなかった。風に運ばれた水しぶきで体中を濡らされるのが、感覚を過敏にさせるのかもしれない。カメラを鞄にしまい厳重に封をしながら見とれていた。
彼のバスの時間が近いこともあって女性2人とは別れ先に帰ることにしたのだが、汽車が行ってしまったばかりらしく、結局、同じ汽車になった。一羽の蝶が足に乗りやがて手のひらに乗り、その場のノリもあって、みんなにやたら写真を撮られることになった。一人旅もいいけれど、こういう無駄な時間も楽しい。国立公園の出口でバスを待っていると、手をふる人が向かってきた。誰かの知り合いかと思ったら、プエルト・ナタレスで同じツアーだった日本人だった。旅行の初期だったプエルト・ナタレスではすこししゃれっ気があったのに、太陽に灼け別人になって気づかなかった。忘れられていたと拗ねていたが。エル・カラファテでは、同じツアーだった女の子と同じホテルに泊まって、色々あって揉めたんだと。若いって良いね。
バスターミナルで、ブラジル側やら宿にそれぞれ別れたが、ブエノスアイレスへ夜行バスで行く彼と二人でバスターミナルのレストランでご飯を食べることに。レストラン内のテレビでも地震や津波の映像が流れていた。初めて見る彼も衝撃的だったらしい。
彼と別れてホテルに着き、メールをチェックするとおばあちゃんの代理の人からローマ字でメールが来ていた。家族と連絡が取れなく、もし昨日送ったメールに返信が来ていたら教えてくれないか、と。昨日、彼女の娘さん宛に送ったメールには返信が来ていなかったが、彼女がいる宿が書かれてあったので、そこに向かうことにした。彼女が泊まっているという宿についてフロントで聞くまでもなく、ロビーに彼女がいたのですぐに見つかった。親類だれとも連絡が取れてないとのことなので、マイクがないのが不安なものの持ってきたパソコンでスカイプを使って連絡をすることにした。が、ビージー状態でどこともつながらない。送られるかわからないショートメールもしたが返答なし。最後にかけた東京の兄宅とようやくつながったものの、なかなかこちらの声が伝わらず苦労した。
気持ちは分かるけれど、「福島に探しに行ってきて。」とパソコンに向かって半分叫んでいるのには、避難指示がでてるのに探しに行かされるお兄さんも可哀想に思った。音声が途切れ途切れなので、公衆電話から国際電話をかけることに。戻ってきたら案の定「『探してこいなんてバカいってんじゃないよ、避難指示が出てるし行ける状況じゃないよ』言われた」と。あまり情報がなかった彼女にも罪はない。この時点でUstreamのNHK放送に気づけば良かったが、気づいたのはホテルに戻ってからだった。彼女のお兄さんが情報収集をしてくれることになり、ひとまず終了した。
ローマ字のメールを送ってくれた日本人の人が作ってくれた野菜炒めで二度目の夕飯。ご飯を食べながら、ワインをあけ飲みはじめた。「もう慌てもしょうがないし、こんな時だからこそお酒でも飲もう」と。そのうち同じ宿に泊まっている日本人が徐々に集まってきて、ワインを片手に彼女の話に耳を傾ける。
「今までも色々とつらいことがあった。娘を乳がんで死んだし、初孫も交通事故で亡くした。だから、今回またどんなことがあっても乗り越えなくちゃいけないんだよ。」と、自分に言い聞かせるように話していた。昨日、バスの中でお孫さんいくつなんですか?と聞いたら、少し言いよどんだのはだからなのか、とこのとき気づいた。彼女の持つ雰囲気が不思議でたまらなかった。71歳になって一年の半分くらいを一人旅しながら過ごしている。「今度の誕生日はどこで過ごそうかな。」とか「去年はブッダ・ガヤのお寺で年を越したけど、今年はどこに行こうか。」と奔放に、「言葉なんて話せなくてもニッと笑えばいいんだよ。」と快活に生きているはずなのに、それが彼女の全てだとすんなり受け入れられない何かがあった。もしかすると、過去に起こった出来事の末にたどり着いた奔放さや快活さだったのかもしれない。「原発の事故は政府が状況を隠すから」と現実的な面は、その表れのようにも思えた。
「100歳になったときに市からもらえる100万で世界一周旅行しようと思ってたけど、こんな状況じゃもう無理だね。もう100歳まで生きるのやめたわ。」と笑いながら言っていた。誰も何も言わず、彼女だけが明るく話を続けていた。