幸福を探しに。

最近、外国文学を意識的に手にとっています。
元々、そちらの知識は薄いので、ドストエフスキーやカフカ、ヘミングウェイなど著名な作家ばかりです。

以前から、外国文学は苦手でした。英語の授業で、ある翻訳されたアメリカ文学の感想文を書かされた時、面白くない理由を延々と書いて怒られたことがあります。しかも、英語の先生ではなく担任に。

言葉は作家本人ではない別人を通してしまっているので、思いが伝わってこない。表現が硬い、彩がない。それらが嫌いな理由です。

夏目漱石の文語体が分かりづらいため口語体になおした本にどれだけの価値があるのでしょう。極端な話ですが、翻訳された本はそれと同じような気がします。

かといって英語で読んでも、英語の能力が低いのもあって参考書を読んでいるようでとても文学に浸るという気持ちにはなれないのです。

今でもその感覚はあまり変わりありませんが、ある程度、寛容になったこと。そして、今は文章を読むことをあまり意識せず、作家の背景に興味を置いているため、それほど気にせず読んでいます。

面白いのかと聞かれれば、日本文学の方が純粋に楽しめます。けれど、翻訳された本の持つ原色のような鮮やかな色に新鮮さを感じるのも悪くはないと思うようになってきました。

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文学や文学の背景以外にも、時間があるためか知識欲が沸き、以前興味があったものを中心に知識の泉に顔を突っ込んでいます。

数年前テレビでちらっと見た「極東共和国」もその一つです。

極東共和国は、第一次世界大戦直後、日本のシベリア出兵の緩衝材としての役割のためにバイカル湖から東、ハバロフスク地方などの地域にソ連の傀儡国家として作られました。その極東共和国の首班、アレクサンドル・クラスノシチョーコフが非常に面白い人物です。

実質、社会主義国家であるソ連に支配下にありながら、自由主義経済を取り入れたり、男女平等を盛り込んだ進んだ憲法を作るなど、極東の辺鄙な土地に理想国家を作り上げようと画策したのが彼です。

結局、1922年わずか3年たらずで、極東共和国はソ連に接収され彼もモスクワに戻り、やがてスターリンの粛清によって処刑されます。

その時の彼の最後の言葉は、反ソ・親米活動の動機を追求されたときの「幸福を探しに。」だとか。

日本で男性のみの普通選挙が行われるのが1926年の話です。日本軍に全土を掌握されているなど、国家としての体裁がどこまであったのかは分かりませんが、その当時、進歩的な国家が極東にあり、自分の理想国家を作り事実上の独立まで考えた人物がいることに驚きつつも、100年も前ではないのに、忘れ去られていることに若干寂しくなります。

誤解を恐れずにいうならば、社会主義を基盤とした自由主義社会は、国家形成のありかたの個人的な理想です。ですから、クラスノシチョーコフが極東共和国を独立させ、彼の理想国家を作れていたとしたら、どのような国家で、彼はその国家で幸福を手に入れられたのか興味深いです。

また、希望的な見方をすれば、彼が極東に理想国家を作ろうとした目的の一つには、レーニンやスターリンの独裁によるソ連型社会主義の弊害と崩壊が見えていたからではないかと思います。

ところで、ドイツではワイマール憲法のもと、完全普通選挙が1919年に行われています。先進的なワイマール憲法は、その後各国の憲法の下地となった一方で、ナチス台頭の温床となり、やがて死文化します。

どんなに理想的なものでも、時代にそぐわなければ消えていくのを考えると、やるせないですね。

理想という言葉に、言葉以上の憧れを抱いてしまいがちな自分としては、悲しくもあり、現実をみよとの指令かもしれません。

さて、幸福(理想)を探しにどこへ行きましょうか。

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