鏡の前でネクタイを締める。
前職を辞めた時に、プレゼントされたSHIPSのネクタイ。オレンジ色で、形も少し変わっているため、紙袋の中から出てきたときには、かなり途惑った。
「自分の持っている、どのワイシャツに合うだろうか。それとも新しいワイシャツを買わないといけないだろうか。」
けれど、実際つけてみると、ワイシャツもそれほど選ばないし、カジュアル間が好きで重宝する。鏡を見ながら、ネクタイの形を整えると、これから起こるだろうことへの興奮と、仕事着の窮屈さが混じりあった。
六ヶ月ぶりのスーツ姿に社内は少しざわめく。半数の社員には初めてのスーツ姿になるかもしれない。
「なんでスーツなの?」
と人とすれ違うたびに聞かれる。そのたびに、臆することなく答える。
「転職活動。」
ひとしきり、転職活動をしているように装ったあと、笑いながらそれとなく否定する。
「もし、面接があるなら柄物のワイシャツは着ないし、ネクタイももう少し考えますよ。」
足元がおぼつかないマネージャー陣は、スーツを着てきたという事実だけで動揺がはしるらしい。
「なんで急にスーツ着てきた?」
「今日は面接があるの?」
遠まわしに探ったり、あからさまに聞くものまで性格や自分との関係性が如実に出て興味深い。
帰り際に、制服フェチの社長秘書から、
「これからもスーツで来てよ」
と言われ、社長秘書のご機嫌をとろうと
「じゃ今度は学ランを着てきます。」
と答える。スーツを着た理由はその程度ののりの気分転換なだけなのに、これほどの衝撃とは社内の状況が見て取れて面白い。その日は、終電まで社内の人と飲んでいた。
明日もスーツを着ていこう。そして、残業せずにそそくさと帰ってみよう。着る物一つで会社へのプレッシャーをかける面白さは病みつきになりそうだ。
今のところまだ、オレンジ色のネクタイが自分自身の首を絞めていることに気付いていない。