昭和16年夏の敗戦 – 猪瀬直樹

かねてから読みたいなと思っていたものの、著者と政治信条が合わなそうだしと一方で敬遠していた本書。別の本を探しに行った本屋で目に入ったのでせっかくだし、と読み始めてみた。

 

対米開戦の前年、昭和15年に総力戦研究所を設立し、軍官民から中堅のエリートを研究生として徴集。総力戦に関する教育と研究をし、翌16年の夏に対米戦争を想定したシミュレーションを行い、首相官邸でその結果を報告。その内容とは、戦争の長期化、物資不足による疲弊、終戦末期のソ連参戦を予測したもので、1ヶ月後に総理大臣となる東条英機も当時陸相としてその報告会に参加しているが、「それって机上の空論でしょ?(意訳)」という感じでその場で一蹴している。

 

その総力戦研究所を資料や研究生等の日記を通して研究成果を中心に実際の開戦までの流れを詳細に描写している。

 

この著書、及び先の研究所が話題にあげられる際、「開戦前に若手のエリート達が敗戦とソ連参戦を予測していた」と彼らの先見性を称賛し、暗に当時の政府を非難するような形になるのだが、称賛すべき点はそこではない気がする。敗戦に関しては海軍や東条内閣の主要閣僚ですら長期戦になれば敗戦は免れないと考える者も多かったし、先の研究結果を聞いた東條も同じ戦況になると予測しているのではないかと総力研究所の研究生の一人が示唆している。ソ連参戦についても、その時期は別として独ソ戦が始まった段階で、日ソ中立条約が締結されていたものの日ソ間は常に緊張状態にあったことを考えれば、決して想定できないものだったわけではない。ただ、総力研究所の予測が他と違ったのは研究生の出身元の官庁や機関などから極秘資料を含めた資料を持ち寄り、肌感覚ではなく数値として裏打ちされた予測結果を出したことにある。

 

また、総力研究所の研究過程が非常に興味深い。机上演習と呼ばれるシミュレーションの際、研究生で模擬内閣を作り「総理大臣」を始めとする各大臣に研究生おのおのが着任し、「閣議」や「大臣間の会議」をすることで「英米の経済封鎖に対して、南方の資源を武力確保する方法をとった場合どうなるか」という課題に対応する。先に述べたように、シミュレーションには各種のデータを収集し、第二期(昭和16年12月)、第三期(16年8月)、第四期(9月)…第九期(17年4月~10月)というように期間を区切りながら、その状況に応じた「閣議決定」を出していく。

 

そのシミュレーションの結果、現実に近い結果を予測できたのは、独立した機関であった点と、なにより研究結果が政策決定に影響を与えなかったことが大きいのだろう。外部からの圧力もなく純粋に収集したデータから、結論に必要な数値を、これまた純粋に出している。ただそれだけのことなのだが、政府にはそれができない。同じ頃、物資や経済の政策を決める企画院等の政府機関では石油の備蓄量など「空気を読んで」戦争遂行可能となる数値を出しているとしている。

 

最近のTPPの経済効果なんかは正にこれで、それぞれ独自に調査した結果が下記のようになっている。

 

内閣府は参加の場合、10年間でGDPが2.4~3.2兆円増加。

農水省は参加の場合、11.6兆円の損失と雇用340万人減。

経産省は不参加の場合、GDP10.5兆円減と雇用81.2万人減。

 

どの試算が正しいかどうかは別として、今でも「空気を読んだ」数値を出すということは変わっていない。

総力戦研究所が何らかの形で政策決定に関わる機関であれば、研究員の得られる情報は「純粋」な情報でなくなっていただろうし、出す結論もまた純粋性を失っていただろう。

 

 

本書では、開戦を決断した東條英機にも焦点を当てている。陸相辞職を楯に開戦を迫ることで第二次近衛内閣を総辞職に追い込んだ東條をあえて首相にすることで天皇の意志である戦争回避を実現しようとした木戸内務大臣等の政治決断の流れが面白い。天皇に実直である東條は、自信の主張とは反対の戦争回避に奔走するが、結局「空気」によって開戦へと押し切られてしまう。

 

さらに最後には研究所員のその後も触れられているのだが、開戦前に日本必負を予感したものの現実にそれを生かそうとせず敗戦によって辛酸をなめる所員も多かったという彼らについてこう書かれている。

 

東條英機と、ある意味では共通のメンタリティーをもっていたことになる。

わかっても”勢い”に押し流されていくしかない。

 

結局、彼らも空気にのまれてしまったと。どんだけ空気って怖いんだよ。空気なんかよめなくていい。読んでいてそんな結論に至った。

まぁ、普段からよまないけど。

 

 

ちなみに、著者は大日本帝国憲法下において内閣と分離していた統帥権を制度上の欠陥とし、戦争の原因としている一方で、政治が目的を達成するために事実が従属させられるとしており、それは政治そのものの欠陥ともとれなくはない。

 

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

著者/訳者:猪瀬 直樹

出版社:中央公論新社( 2010-06 )

文庫 ( 283 ページ )


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